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ナゴヤ商店街オープン×さかさま不動産 対談【前編】

空き家を使って何かに挑戦したい人と、その想いを応援したい大家さん。両者の想いをつなげる新しい不動産のマッチングサービス「さかさま不動産」が、数々のメディアで取り上げられ話題となっています。参照:さかさま不動産サイトhttps://sakasama-fudosan.com

自分たちの原体験から着想を得たという、これまでにないユニークで斬新な仕組み。運営を行う株式会社On-Coの水谷岳史さんと藤田恭兵さんのお二人には、これまでナゴヤ商店街オープンでのイベント企画などにもご協力をいただいてきました。今回、あらためてお互いの取り組みについてじっくり語り合おうと特別対談を実施。その模様を前後編にわたってお届けします。

自分たちの原体験から生まれた「さかさま不動産」

――商店街オープンとさかさま不動産は、手法は違いますがまちづくりや空き家の活用といった課題に大きく貢献されています。お互いに連携して実現した事例もあるそうですね。

市原:2023年の商店街オープンで、中村区の新大門商店街にあった空き物件を使って「ティーピック」という紅茶のお店ができたんですが、そこに入ってくれたのが「さかさま不動産」から紹介していただいた方でしたね。

藤田:そうですね。あの時、古くから続く商店街にいきなり「さかさま不動産」として入り込んでいたら、地域の方たちとの間にハレーションが起きていたんじゃないかと思います。でも事前に商店街オープンのみなさんが土壌を作ってくださっていたおかげで、スムーズに物件を貸していただけたのだろうなという気がしています。

大正〜昭和の初期にかけて名古屋随一の歓楽街「中村遊郭」として栄華を極めた歴史ある中村区の新大門商店街。時代とともに様変わりした街並みの中に、いまなお往時の風情が漂う。

大門小路の入り口、元飲食店だった物件をリノベーションしてオープンした紅茶専門店「teapick」

市原:僕らとしては、やりたい想いを持っている面白い人たちに「商店街」という場所にも目を向けてもらいたいので、そういう人たちのネットワークを持っているさかさま不動産のみなさんとは、今後も協力し合えたらいいなと思っているんですよ。

――お互いの活動を詳しく知ったのはいつ、どんなタイミングだったのですか。

水谷:僕たちにとって市原さんはまちづくりの大先輩ですし、実際にお会いするずっと前から知っていて一方的に注目していました。円頓寺が盛り上がりはじめた頃にも自転車で様子を見に行ったりしていたんですよ。

市原:そうだったんですか。僕もさかさま不動産のことはずいぶん前から知ってましたけど、しっかり認識したのはいつだったかな…栄生のあたりでシェアハウスとかやってたのはいつごろだっけ?

水谷:もう10年以上前になりますね。あの頃はただ空き家を借りて自分たちで直して好きに暮らしていただけなんですけどね。自分たちの活動に「さかさま不動産」と名前をつけて、いまのような仕組みにしたのは3年ぐらい前です。

市原:わりと最近なんだ。

水谷:ええ。でも構想自体はもう少し前からありました。栄生でシェアハウスを運営していた頃に感じた〝楽しい〟っていう感覚が原体験になっていて、そこから仕組みを作って概念を言語化したのが「さかさま不動産」なんです。

市原:なるほど、それは楽しいね。成り立ちも面白いし。

「さかさま不動産」の水谷岳史さん(左)と藤田恭兵さん(右)

まちづくりに貢献する新しい仕組み

水谷:あの頃はただ楽しいことをやっていただけだったのに「僕も空き家を借りて何かしたい」とか、大家さんたちからは「君たちみたいな子、どうやって探せばいい?」みたいな相談がたくさん舞い込んでくるようになって、なんだ、この状況は?みたいに思っていて。

――それでちゃんとした仕組みを作ろうと?

水谷:そうなんです。大家さんたちって、基本的に自分の情報を表に出したくないという人が多いじゃないですか。逆に借りたい側の若い世代の人たちはSNSを使いこなして上手に情報発信できちゃう。だったら発信の上手い方が先に情報を出して、苦手な方がそこから選べばいいんじゃないかって。

市原:単純に考えればそうだよね。けど現実には難しそうだなとも思うんですよ。店を開いたり何か始めたいっていう人は、自分の側から希望や条件を出したいはずだし。もし大家さんの方から「うちの物件でどう?」ってオファーが来ても、場所的にちょっと条件に合わないな、みたいなことが起きるんじゃない?

水谷:このサービスを普通のビジネスとして捉えたら、そう感じるのは当然かもしれません。でもかつての僕らがそうだったように、物件を探す時に、とりあえず家賃が安ければなんとかなるだろうと思っている人は少なくないし、場所へのこだわりがそれほど強くない人もけっこういるんですよ。

市原:どこか良いとこない?みたいな感じ?

水谷:そうそう。場所の希望は特になく、エリアは全国どこでもいいとか。そういう人たちにイメージを聞くと、まちとか地域というよりも海が見える場所とか川が近いとか半径数十メートルぐらいの狭いロケーションを思い描いていたりするんです。

市原:なるほどね。

借り手の「やりたい想い」をウェブサイトに掲載し、そこに共感した大家さん側からオファーを受けるという、まさに逆転の仕組み。

水谷:けど選んでもらうためには、大家さんにちゃんとプレゼンしなきゃいけないんです。「君たちだったら応援してあげる」って思ってもらうことが大事になってくるから

市原:お互いの関係性がより重要になるでしょうね。ロケーション重視の人たちって、たとえば業態でいうとどんなことをしたいのかな。

水谷:カフェをやりたい人は多いですね。あとは農地で野菜を育てながら店をやりたいとか。そういう人には「ロケーション重視だったらまず全国に向けて探してみて、大家さんから連絡が来たら具体的に検討してみれば?」って伝えています。

「この人に来てほしい!」

ひとりの熱意で始まった円頓寺のまちづくり

市原:円頓寺の場合はそこがまず違うんですよ。そもそも円頓寺でやりたい!っていう人を探すところからスタートしている。それで非常に苦労した。今でこそ円頓寺でやりたいという人が増えて、放っておいても人が来てくれるようになったけど、当初は一人もいなかったからね。

藤田:そんな状態からどうやって始められたんですか。

市原:この人だから円頓寺に店を出してほしい!と思う人に僕が直接、声をかけました。そして無理やり円頓寺に連れてきちゃう。「とにかく見てくれ、素敵なところなんだ!」って必死でプレゼンして。

水谷:それはすごい!

市原:そこまで言うとしぶしぶ来てくれるんだけど、実際にまちを見て「どこが素敵?」「誰も歩いてないじゃん」とか言われてしまう(笑)

円頓寺商店街の誕生は名古屋城築城の頃。名古屋でもっとも古い歴史を誇る。

――そもそも市原さんがそこまで円頓寺に思い入れを持って取り組んだのはなぜですか。

市原:なぜと聞かれてもはっきりした答えはないんですが、きっかけはごく個人的なことだったような気がするんですよね。

藤田:何だろう、気になります。

市原:90年代の後半ごろ、円頓寺に三味線と長唄を習いに行っていたことがあったんですよ。その頃、お師匠さんにまちを案内してもらったり一緒に食事をしたり、楽しいことをいろいろ体験させてもらったんです。そのうちお師匠さんが亡くなって、まちに通う理由がなくなってしまった。一旦は足が遠のいたけど、ふと気になって久しぶりに円頓寺に行ってみるとまちの様子がすごく変わってたんです。わずか一年あまりの間に結構な数のお店がなくなっていて、それにすごくショックを受けちゃった。

古くからの店は軒並み閉店し、かつては人通りさえ途絶えてしまった円頓寺商店街。いまでは新旧の店舗がバランスよく混在し、多くの人で賑わうように。

――90年代の終わりといえば、円頓寺だけでなく、まちや商店街がどこも急激に元気を失っていた時期でもありますね。

市原:当時はまさにそういう感じでしたね。

商店街が元気を失っていった時代に

藤田:地域の活性化とかまちづくりみたいな動きはなかったんですか。

市原:全然。「まちづくり」なんていう言葉すらなかったんじゃないかな。

水谷:まちや商店街の人たちはどんな想いを持っていたんだろう。例えば空いてる物件をリノベして上手に使うとか…。

市原:まだリノベなんていう発想もほとんどなかったし、特に年配の人たちは古いものに価値があると思っていなかったんだね。新しくて綺麗なのが美徳っていう価値観だったから。

水谷:近代的な方がいいと思われていたのかな。

市原:そう。あの頃はね。だから四間道あたりの古い建物もどんどん壊されてしまった。僕としては好きだった遊び場がなくなってしまうのが残念で、残ってくれるといいなという気持ちがありました。けど何をすればいいのかわからなくて。ただまちに飲みに行くということから始めるしかなかったんですよ。

堀川の西岸に位置する「四間道」。江戸時代、大火を恐れた当時の将軍が、火事の際に被害が最小限で済むようにと道幅を四間(約7m)に広げさせたことからその名が付けられた。

藤田:まずは自分が実際にまちに足を運ぶって大事なことだと思います。

市原:そうなんだけどね。僕一人が通ってどれだけの影響力があるのかはわからなかった。とにかくまちに通い続けていれば何かできるかもしれないと思って頑張ってました。そんな時期が5〜6年続いたのかな。

まちは自分たちの手で面白くできる!

水谷:そこからどうやって円頓寺が変わっていったんですか。

市原:そうこうしているうちに当時の名古屋の若手建築家たちが集まって、今で言う「まちづくり」っぽいことをしようっていうような話をするようになったんです。まちのお祭りに合わせて期間限定のアートギャラリーを作ったのもそんな頃でした。

――建築に関わる方たちが自主的に組織を立ち上げてまちのことを考える。そういう動きは名古屋ではまだ少なかったのではないですか。

市原:そうですね。その中には大学の先生とかもいらしたんだけど、その考え方に当時の僕は「さすがだなあ」と感心しましたね。まちが面白くなければ自分たちで面白くすればいいっていう発想は、その頃の僕にはなかったですから。

水谷:まちの人たちはそういう動きをどんなふうに見ていたんでしょう。

市原:地元の人たちにしたら怪しい存在だったみたいなんだよね。めちゃくちゃ不審がられてたらしいし。

藤田:それを言ったら、いまの僕らだって相当怪しいかも…。

市原:そうだよね(笑)

「この人だからこそ来てほしい」と思う人材を熱意で説得。一人の想いが契機になり、円頓寺は再び活気を取り戻していった。

――そもそも「まちづくり」自体わかりづらくて、すんなり受け入れられることが難しかったのかもしれませんね。まちや人との関係性の構築を大事にしているところは共通していると思いますが、アプローチや手法の違いなどについてはそれぞれにどんな印象を持っていますか。

水谷:僕が、市原さんたちのような建築のみなさんと大きく違うと感じるのは、最初、仕事をきっかけにまちに関わって、その後で特定の地域にぐっと入り込んでまちづくりに取り組むみたいなことが多いところ。自分にはそれができないんじゃないかと思うし、だからこそどこか一つのまちとしっかり関係性を築いていくやり方は少し羨ましかったりします。

藤田:あと、これは僕らの特徴かもしれないんですけど、さかさま不動産でマッチングした人たちは僕らの友達とか若い世代が多くて、それもあって大家さんがお年玉くれたり、そのお返しに家の屋根を直してあげたりみたいなやりとりが日常になりやすいのかなって思う。そこってすごく楽しいところなんですが、市原さんたちが作ってくれたまちづくりの土台やしっかりとした礎があるからだろうなとも感じるし、地域の人たちが希望を持って、僕らみたいな変な人でも受け入れてくれるのもそのおかげだなと思います。

市原:嬉しいこと言ってくれますね。僕らがそういう道筋のようなものが作れていたのならいいけど。

水谷:間違いなくそうだと思います。シェアハウスをやってた頃、市原さんたちがいろいろ苦労をしながら仕掛けられているのを見て、「僕らも頑張ればこんなふうにできるのかな」って憧れてましたもん。

市原:そうなんだ〜。そういうことは早く言ってよ(笑)

水谷:実際、あの頃は僕と同じように思ってたやついっぱいいたはずですよ。とはいえ僕は、自分でやるんだったら違うやり方でやりたいとも思ってました(笑)。これは僕の性格なんでしょうけど。

市原:ああ、それわかる!正直いうとね、僕もさかさま不動産を知ったとき「やられた〜、めちゃくちゃ面白いじゃん!」って思ったんですよ。でも同じことはしたくないから、さかさまのさかさまをやろうかななんて考えてた。

藤田:そうだったんですか?でも、さかさまのさかさまだと普通の不動産屋さんになっちゃうじゃないですか。

市原:あれ?そうだよね…とにかくね、僕もいいアイデアを考えたんですよ。

水谷・藤田:どんなんですか?ぜひ教えてください。

市原:まあ、ちょっと細かいスキームのとこ忘れちゃったんで、また次の機会までに思い出しておくね。

全員:爆笑

〜後編へ続く

https://sakasama-fudosan.com/area-information/%e3%83%8a%e3%82%b4%e3%83%a4%e5%95%86%e5%ba%97%e8%a1%97%e3%82%aa%e3%83%bc%e3%83%97%e3%83%b3x%e3%81%95%e3%81%8b%e3%81%95%e3%81%be%e4%b8%8d%e5%8b%95%e7%94%a3-%e5%af%be%e8%ab%87%e3%80%90%e5%be%8c/

<参加者プロフィール>

さかさま不動産(株式会社On-Coが運営するプロジェクト)

水谷 岳史(株式会社On-Co 代表)

高校時代から商店街活性化や飲食・音楽などのイベント企画に携わり、家業である造園業ではデザインや施工、設計管理スキルを習得。その後は「誰もが自由に挑戦と失敗できる空間をつくりたい」という想いのもと、名古屋市中村区でまちにある空き家を活用し、飲食店、レンタルスペース、シェアハウスなど計 10 軒を自らリノベーションして運営。その経験を原体験にさかさま不動産を立ち上げる。メディアや行政から大きな注目を集めるなか、誰もが自由に挑戦と失敗ができる社会を目指して実証実験を続けている。

藤田 恭兵(株式会社On-Co共同創業者)
大学時代に新社会人向けの教育コンテンツ作成とコミュニティ運営の事業を行う合同会社を設立。インターン開発を進める中、人が自由に集まれる場の必要性を感じ、2015 年に空き家を活用したシェアハウスを立ち上げる。水谷と運営体制を統合し、共同代表として2019 年にOn-Co を設立。これまでに、さかさま不動産・ソイソースマンション・madanasaso・上回転研究所などを立ち上げ、運営を行う。コミュニティを混ぜ合わせて発展させることが未来をつくると信じ、人と人とが信頼し合える関係性がさまざまな社会課題解決の一助となることを目指し模索中。

ナゴヤ商店街オープン

市原正人 /一級建築士(ナゴノダナバンク代表取締役)

有限会社デロ代表取締役(市原建築設計事務所)、一般社団法人ボンド代表

円頓寺商店街のある那古野地区を拠点に、空き家対策、古民家リノベーションなど不動産活用や各種イベントの企画運営を行う。円頓寺界隈のまちづくりへの取り組みは20数年にも及び、既存のコミュニティの結束が強い地域に新しい店舗を出店する際の仲立ちの重要性を実践から学ぶ。円頓寺商店街に新たな風を呼び込み活性化に貢献してきた実績を活かし、ナゴヤ商店街オープンにはアドバイザーとして参画。近年は円頓寺と他地域との連携や、魅力ある〝まち〟を目指す他のさまざまな地域での取り組みにも力を注ぐ。

転載元:ナゴヤ商店街オープン×さかさま不動産 対談【前編】
https://shotengaiopen.nagoya/special/790.html

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